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2021年6月の記事一覧

ちょっと一息(お勧めの1冊)

ちょっと一息(お勧めの1冊)
著書名:『高円寺純情商店街』 作者:ねじめ正一
●本日の「私の薦める1冊」は、昭和30年代後半頃の東京高円寺駅北口「純情商店街」を舞台にした6つの短編、『高円寺純情商店街』です。●作者が生れ育った街に思いを込め、どれほど強く商店街を愛したかがよく顕れた物語です。●それでは、かつて中学校国語教科書にも掲載されていた、ねじめ正一さんの『高円寺純情商店街』を紹介します。
●主人公の名前は「正一」。正一の生家は、商店街の中でも「削りがつをと言えば江州屋」と評判をとる乾物屋で、主に鰹節や干物を売っていますが、卵までも売っています。正一は、母親が洗い、ばあさんがふかし、父親が削る「江州屋の削りがつを」をふるいにかけて「粉かつを」をつくる係です。●人々の声や削り節の匂いや焼印の押された綺箱の印象、死んだ金魚を手にする感覚などが情感豊かに表現されるとともに、正一少年の五感を通して映し出された父や母、祖母、そして商店街に暮らす人々のあり様が丹念に描写されています。とにかく正一の父親がいい味を出しています
●ここで少しネタばらし。
1 天狗熱
 大口の顧客を失う危機に直面した父親。熱を出して寝込こみますが、危機を回避したとたんに、自分が熱を出したのはデング熱を患ったからだと苦しい言い訳をする父親の話。
2 六月の蠅取紙
 湿気が大敵な乾物屋の梅雨時、家族の苛立ちは一層募ります。そんな折り、父が売り物に蠅が集るという俳句を作り、それを商店街の句会で発表すると言い出します。そのことが原因で母と夫婦喧嘩をするという話。
3 もりちゃんのプレハブ
 乾物屋の従業員、もりちゃん(盛義)とカズ江という女性との恋物語。大きなおっぱいの尻軽女との恋をどこか歓迎しない街の雰囲気。そしてもりちゃん(盛義)は、結婚を反対され田舎に連れ戻されるという話。
4 にぼしと口紅
 隣の空き店舗に引越して来た化粧品店。若くて綺麗な化粧品店の女性従業員達に影響され、それまで化粧気もなかった祖母と母の浮かれる様子。父もこっそり養毛剤を購入しますが、新装開店のチラシで、儲けの違いに圧倒されるという話。
5 富士山の汗
 10日間も風呂に入らずちんちんが痒くなった正一は銭湯に行きます。同級生の宮地さん(女の子)が番台にいることに気づき、恥ずかしくて湯ぶねを出られないでいると、いきなりちんちんを蹴られるという話。
6 真冬の金魚
 眼鏡店が放火され、ボヤ騒ぎが起こります。店街の面々が一致団結して無事に消火しましたが、消火の際、用水桶でボーフラ除けのために飼われたいた金魚が消火のため水と一緒に火へと投げ出され犠牲になるという話。
●詩人でもある、ねじめ正一さんが初めて手がけた小説『高円寺純情商店街』(直木賞を受賞)です。『熊谷突撃商店』『眼鏡屋直次郎』『天使の相棒』『荒地の恋』『ひゃくえんだま』などの作品を著している、ねじめ正一さんの『高円寺純情商店街』はいかがでしょうか。

良寛(和尚)さんの言葉

●良寛さんの言葉

本日は、親しみやすく、優しい心と思いやりに満ちた温かな人間性で、多くの人々に親しまれたという良寛さんの言葉を紹介します。
良寛さんは、禅宗の志を継ぐ人で、「すべて言葉はしみじみ言うべし」と語っています。穏やかに、そしてしみじみと話しなさいいうことです。良寛さんは、詩歌、漢詩等にも精通し、人と話すときの心がけとして90ヶ条の「戒語」を残しています。そのいくつかを紹介します。
1 あまりしゃべりすぎないこと
2 人の耳に口をつけてこそこそ話さないこと
3 一度言ったことは取り返しがつかないから、注意して話すこと
4 大して重要でもないことを、大事のように論じないこと
5 その人が気にしていることを言わないこと
6 知らないことを知っているふうに言わないこと
7 人の話の腰を折らないこと
8 人を差別するようなことを言わないこと
9 手柄話を得意になって話さないこと
10 自分で確かめもしないのに想像や憶測でものを言わないこと
11 あれこれと人に講釈しないこと
12 ぼそぼそと独り言のように文句を言わないこと
いかがでしょうか。耳の痛い言葉ばかりです。時に言葉は、相手を勇気づけ、励ます魔法ともなりますが、相手の心を傷つける恐ろしい道具ともなります。「言霊」と言う言葉がありますが、正に「言葉」には、「霊」が宿り、相手を思いやる言葉にはその思いが、優しく、温かに届くもだと信じています。私を含め、子供たちが相手の立場を思い、相手のための言葉が交わされる、そんな学校でありたいと願うばかりです。

福沢諭吉さんの言葉

●福沢諭吉さんの言葉

●本日は、福沢諭吉さんの「学び」について語った言葉を紹介します。●福沢諭吉さんは、「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」で始まる『学問のすすめ』で、生まれながらに上下の差はないのに、貧富の差や身分の差ができるのは、学問があるかないかが原因と説明し「学ぶ」ことがいかに大切かを訴えています。●そして次のような言葉を残しています。

1「賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによって出来るものなり」
2「読書は学問の術であり、学問は事業の術である。」
3「学問は米をつきながらも出来るものなり。」
4「活用なき学問は、無学に等しい。」
5「一家は習慣の学校なり。父母は習慣の教師なり。」
6「学問の本趣意は、読書に非ず、精神の働きに在り。」

●福沢諭吉さんは、「1」で学ぶことの大切さを訴え、●「2」で学ぶ術の一つとして読書は重要であり、学ぶことは自立につながると説き、●「3」で学問はいつでも、どこでも、どんな状況下であろうと学ぶ気力(意欲)工夫があればできるものと説明し、●「4」で学んだことは世(社会)に生かさなければ意味をなさいと語り、●「5」で子供の規範意識をはじめ人間性を醸成するのは身近にいる大人たちの責任である(特に家庭教育は重要)と述べ、●「6」で読書を通して知識を得るだけでは不十分で、感じ、考え、深い洞察を通して自己を成長させることが必要であると進言しています。●これらの言葉から、私は「学ぶ」という行為は、「利他的」な目的を持ち、いかに「主体的」に行えるかが大切であると感じました。また、会津藩士の逸話としてご紹介した「什の掟」にも通じるところがあると感じました。

※福沢諭吉さんの言葉の解釈は私見で、誤りがありましたらご容赦願います

ちょっと一息(お勧めの1冊)

●ちょっと一息(お勧めの1冊)

著書名:『神去(かむさり)なあなあ日常』 作者:三浦しをん
●本日は、「ちょっと一息(お薦めの1冊)」ということで、私が保護者の皆様にお薦めしたい「この1冊」を紹介させていただきます。●この本は、数年前に、偶然、南那須図書館で出会った1冊となります。●『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、『舟を編む』で本屋大賞を受賞。代表作に『風が強く吹いている』、『仏果を得ず』、『木暮荘物語』など多数。そんなストーリーテーラーの「三浦しをん」さんが手がけた1冊です。●では、書評風に『神去(かむさり)なあなあ日常』を紹介いたします。
●日本の原風景を生活の一部として過ごした、あるいは里山で育ち、それらを垣間見た、そんな方々にとって、郷愁とともに言葉で表そうとするとうまく表すことができない、あの寂として恐々とした感覚をお持ちではないでしょうか。正にこの1冊はその郷愁を追懐させてくれるとともに、あの感覚を優しくも流麗な言葉で表現してくれる1冊となっています。それは、日々の忙しさに自己喪失感を憂える暇さえ忘れかけているかも知れない皆様にとって、原始体験を想起させ、自己アイディンティティーを回復させてくれる清涼剤となるはずです。●もちろん、そんな原風景に触れたことのない都会育ちの皆様。特に日常の忙しさに埋没したあなたの精神にとって、お伽噺や昔話から心の奥へと浸み込んだ、そして幼少の夕暮れ時に襲ったことがあるだろう漠然とした寂寥と恐怖が溶け合ったあの感覚を呼び覚ます1冊となると確信しています。●「なあなあ」の言質に秘められた覚悟とともに日々を過ごす「神去村(かむさりむら」の人々。「ヨキ」に「三郎」、「清一」・・・。林業を生業とするこの村の個性豊かな人々と主人公「平野勇気」が巻き起こす様々な事件(?)。そんな騒動が軽快なタッチで綴られています。もちろん林業と対峙し一生を捧げようとする村人の矜恃、生き様にも魅了される1冊となっています。●機会がありましたら、ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

子供は大人の鏡

◆子供は大人の鏡◆

 会津藩士では、6歳から9歳までの男の子が、町ごとに「什(じゅう)」と呼ばれる十人前後のグループを作っていたそうです。この集まりは子供たちに会津武士の“心構え”を身につけさせるための、ある種の幼児教育の場であっとも言われています。
 グループの家に集まった子供たちは、什長(じゅうちょう)と呼ばれるリーダーから、自らを律する「什の掟」について申し聞かされます。
「什の掟」
一 年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
一 年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一 卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一 弱い者をいぢめてはなりませぬ
一 戸外で物を食べてはなりませぬ
一 戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ
 そして、什長は最後に「ならぬことはならぬものです」と厳格に戒め、「什の掟」に背いた子がいなかったかどうか尋ねます。違反した事実があれば、その違反した子に相応の「制裁」を加えました。
「什の掟」の内容については、当時の時代背景もあり考え方や価値観などが現代とは異なりますので、その内容の是非ついては様々なご意見もあろうかと思いますが、ここで私が注目したい点は、「什の掟」も、そしてそれを破った子への「制裁」も、6歳から9歳までの幼い子供たち自ら考え出し、実行したという事実です。ほんの6歳から9歳までの子どもたちが、大人の力を借りずに、このような自治的活動を行ったという、その自主性に驚かずにはいられません。
 そして、私が注目したい二つ目の点は、この幼い子供たちがこのような仕組みを作り出すための原動力となった規範意識のことです。実は周囲の大人たちの常日頃の言動が子供たちの会津藩士としての規範意識を醸成したのです。大人の背中が立派に範を示していたからこそ、子どもたちは自然と、会津藩士の子弟としての誇りと自覚を豊かに育てていくことになったのです。
 「子供は大人の鏡」と言われますが、この会津藩士の話から、私たち大人が子供たちに見せる姿について、一考する必要があると改めて感じました。