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2021年9月の記事一覧

ピンク・レディーの未唯mieさん

◆ピンク・レディーの未唯mieさん◆


●本日は、ピンク・レディーの未唯mieさんのインタビュー記事に触れる機会がありましたので、その内容のさわりを紹介いたします。
●ミー(現:未唯mie)さんは、1970年代後半から1980年代初頭にかけて、ケイ(現:増田恵子)さんとピンク・レディーを結成し、ダンス・ミュージック系アイドルとして活躍しました。●「ペッパー警部」でデビューした二人は、、「S・O・S」や「渚のシンドバッド、「ウォンテッド(指名手配)」など9曲連続オリコンチャート入りを果たすなどヒット曲を連発しました。●休み時間になる度に、「UFO」を歌いながら踊る子供たちが社会現象となるなど、その人気はすさまじく、当時小学校6年生であった私に、一世風靡をするとは、この二人のようなことなのだと、実感させてくれました。●私の同級生(女の子)も、ミー役とケイ役になって踊りながら歌っていたことが、今でも思い出されます。
●未唯mieさんは、引っ込み思案な自分を変えたいという思いから、中学校のクラブ活動は演劇クラブを選びます。●クラブ活動をとおして、自分の感情を表現できることに感動を覚えた未唯mieさんは、「人の前に立って自分自身を表現したい」と真剣に考えるようになります。●当時、「夢」について、歌手志望のケイ(現:増田恵子)さんと互いに語り合っていたそうです。●未唯mieさんは、中学校3年生の時、夢(役者になる)を叶えるためにオーディション番組に出場しますが、このことが後のピンク・レディー誕生へつながります。●残念ながら予選で不合格になりましたが、この時、未唯mieさんは、舞台袖で和田アキ子さんが後輩の森昌子さんを膝の上に乗せて頭をなでている姿を見かけます。●親から厳しくしつけられ、親に十分に甘えられなかったと述懐する未唯mieさんは、その姿にうらやましさを感じ、「歌手になれば、先輩からあんふうにかわいがってもらえるんだ」と思ったそうです。●この話を聞いたケイ(現:増田恵子)さんと「一緒に歌手を目指そう」と誓い合い、プロの歌手を目指すことになります。●そして二人は、「プロになるまで決して泣かない。泣いたらビンタする」と約束を交わします。●ピンクレディーとしてデビューするまでには、いくつもの試練があり、苦しい毎日だったそうです。●思うように歌うことができず、レッスンの途中で先生から「レッスンは終わり!」と告げられ、ケイ(現:増田恵子)さんが泣き出してしまったことがあります。●未唯mieさんは、「約束だからね」とケイ(現:増田恵子)さんの頬をたたき、二人で泣いたそうです。●それ以後、プロデビューするまで泣いたことはないと未唯mieさんは語ります。●このようしてピンク・レディーとしてデビューした二人ですが、とにかく多忙な日々を過ごしたことは、引退した後のドキュメンタリー番組で何度か放送されましたので、皆さんもご存じかも知れません。
●ピンク・レディーの誕生には、中学生で「人の前に立って自分自身を表現したい」という強い意志を持ち、一人は役者に、一人は歌手になると「夢」を抱いた二人の少女がいたからなのです。●そして何よりも、「夢」を叶えるための実行力に感動します。「夢」を叶えるための努力に感動します。●もちろん、それを支え合った未唯mieさんとケイ(現:増田恵子)さん、友人(親友)の存在も大きいのです。未唯mieさんは、ケイ(現:増田恵子)のことを「親友」のレベル超えて、最後には「戦友」となったとも語っています。