2021年9月の記事一覧
ちょっと一息(お勧めの作者)
ちょっと一息(お勧めの作者)
◆村上春樹さんの世界◆
●本日は、村上春樹さんの小説について、書評的手法を用いた紹介を試みようと思います。●村上春樹さんの作品は、「現実の世界」と「過去の世界」、「こちら側の世界」と「あちら側の世界」といった対立軸をベースとし、そこに「呪い」や「暴力」といった「悪」をテーマに織り交ぜて、登場人物の苦悩、厭世、勇気、成長などを描いた内容となっていると考えています。●例えば、『羊をめぐる冒険』は、「父」から「羊」の継承(裏社会の権力者として世の中を牛耳る者)の呪いをかけられた鼠(主人公の親友)の話ですが、自殺することで悪の継承を拒否するとともに、「死の世界」から「現実の世界」に残存する「悪」を抹殺するという小説です。つまり父の呪いを自らの死をもって打破しようとした鼠の苦悩が描かれています。●また『ノルウェイの森』では、「過去の世界」に引き寄せられた直子が、「現実世界」で生きることよりも自らの死を選択するという内容です。直子が「過去の世界」を求め続けなければならない悲しみ、哀愁が主人公の目を通して静謐に語られています。果たして直子が自己の抱えた苦しみを解放し、自殺をせずに「現実世界」で生き続けるためには、何が必要だったのでしょうか。●その「問い」に対するひとつの回答が『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のテーマではなかったのかと考えます。●その答えは「あちら側の世界」に「自分の世界」をつくることです。そして「過去の思い出」を大切にしながら生きていくことさえできれば、「現実の世界」でも生きていけたのではないでしょうか。●直子はそれができなかったのです。●しかし『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の主人公はそうすることで、「あちら側の世界」から「現実の世界」へ戻ることができたのではないかと考えます。●それでも疑問が残ります。●「あちら側の世界」に「自分の世界」をつくった人間は、「現実の世界」において本当の自分なのか、ということです。外見上は確かに生きてはいますが、本当の意味で「現実世界」に生きる意味、存在価値があるのかということです。●村上春樹さんは、『海辺のカフカ』で、その答えを示しています。●『海辺のカフカ』は、「あちら側の世界」に身の半分を置いた父に「(お前はいつか)父を殺し、母と姉と交わる」という「血の呪い」をかけられた15歳の少年(カフカ)の成長物語です。●カフカが、悪を継承することもなく、父を現実に殺すこともなく、いかに呪いを打破して「現実世界」で生きていけるのかを描いているのです。●『海辺のカフカ』には佐伯さんという50歳を超えた美しい女性が登場します。●彼女は、半身が「あちら側」へ行ってしまった人間です。●佐伯さん自身は「あちら側」で「過去」とともに生きており、「現実世界」の彼女は虚無感に覆われた残像のようなものです。●またナカタさんという初老の記憶を失った人物も登場します。●ナカタさんは「あちら側」に連れて行かれたしまった人物です。●ですから「現実の世界」では「空っぽ」の人物として描かれています。●「過去の世界」に生き「現実世界」に背を向ける佐伯さんや「あちら側の世界」にすべてを持っていかれ「空っぽ」のナカタさんがそれぞれ最後にとった行動にこそ、心身ともに「現実世界」に戻る(戻す)ための「答え」が暗示されていると感じました。●それは「現実の世界」から「あちら側の世界」へ導く様々な要因である「悪」、その連鎖を断ち切るための「救い(救う)」が必要であると言うことです。
●戦争、暴力という「悪」をテーマに取り上げた『ねじまき鳥クロニクル』では井戸が、宗教をテーマにとした『IQ84』では高速道路の階段が、●無がテーマの『騎士団長殺し』では、祠が「あちら側の世界」へと導いています。●「あちら側の世界」に居るミュウと行ってしまったすみれを描いた『スプートニックの恋人』●『羊をめぐる冒険』の続編である『ダンス・ダンス・ダンス』などなど、機会がありましたら、村上春樹さんの小説が語るテーマの連続性に触れてみてはいかがでしょうか。