2022年7月の記事一覧
ちょっと一息(お薦めの1冊)
ちょっと一息(お薦めの1冊)
著書名:『死の瞬間~死とその過程について~』
作者名:エリザベス・キューブラー・ロス
●本日紹介する本は、「死の五段階説」を提唱したエリザベス・キューブラー・ロスが著した『死の瞬間~死とその過程について~』です。初版は1969年で、2001年に新訳バージョンが、そのままの邦題タイトル「死の瞬間」で発刊されています。●「死の五段階説」とは、錯綜した経過を辿ることも見られるのですが、末期患者は「否認と孤立」→「怒り」→「取り引き」→「抑鬱」→「受容」という過程で死を迎えるという考えです。●本著は、200人以上の末期患者にインタビューを行い、患者自身の死に対する受け止め方や、医療従事者や身内の反応などが記(報告)されています。●したがって、著者であるキューブラー・ロスの死生観が述べられているのではなく、あくまでも死に瀕した人々が残してくれたメッセージとなっています。●だから、「否認と孤立→怒り→取り引き→抑鬱→受容」の5段階モデルについての説明は少なめで、理論よりも患者の語りからの理解に重きを置いています。●人は「死」を必ず迎えます。そしてそのことを誰もが知っています。しかし自分は「死ぬ」のではないかと感じたとき(自らの「死」を悟ったとき)、どうして自分が死ななければならないのかといった理不尽さを感じます。そんな矛盾に苦しむ患者の生々しい声が聞こえてきます。●末期患者の家族が、現実を直視できず、いやしたくないあまりに、患者と本音で話せないという事実も語られています。●また、最期を迎える患者が「望むこと」はどんなことなのでしょうか。「ありがた迷惑なこと」は何なのでしょうか。その答えが末期患者のインタビューを通して見えてきます。●その人の尊厳を守り、人間的な愛情を持った関わりを行う(医療機関が提供する)ためには、そんな患者の思い、願いを理解する必要があるようです。●「父が亡くなる前にこの本を読めばよかった。癌がわかってから亡くなるまでの4年間、父から一言も弱音を聞かなかった。強気だった父の本心を知る努力をすべきだった。私達には言えないこともあったかも知れない。」とは、ある方の感想です。
●本著は、日本にまだターミナルケアがほぼ認識されていなかった頃の、アメリカでの終末期ケアの記録です。●欧米文化の影響により、宗教の比重がある程度重く描かれて、日本の終末医療で神様に関する考えはここまで登場しないだろうと感じるところはありますが、数多くの末期患者へのインタビュー、そして観察を行ってきた記録ですので、感情論としての内容とは一線を画した作品です。
●誰もがいつかは「死」を迎えるのです。また大切な家族もしかりです。「死を知る」とは、「死を受け入れる」とは、どういうことなのか、本書をもとに自分なりの「自分解」を具体的に実感してみては、いかがでしょうか。
ちょっと一息(お薦めの1冊)
ちょっと一息(お薦めの1冊)
著書名:『日本語練習帳』 作者名:大野晋
●本日紹介する本は、言語学者であり国語学者でもある、大野晋さんの著した『日本語練習帳』です。●大野晋さんは、橋本進吉(日本語文法を体系的にまとめ上げた、日本文法研究の第一人者)さんに師事し、上代仮名遣いの研究をすすめました。●また、日本語の起源や変遷についての考察、本居宣長の研究などでもすぐれた業績をあげています。●大野晋さんは、『日本語の起源』『日本語以前』『日本語とタミル語」など、後世に残る名著を多数著した人物としても有名です。
●ちなみに、日本語の文法体系論として代表的なものは、時枝文法(時枝誠記さんがまとめ上げた文法論)と橋本文法(橋本進吉さんがまとめ上げた文法論)がありますが、現在、小中学校国語科で取り扱っている文法論は、橋本文法となります。●私は、大学で「(国語学)文法論」を学ぶ過程において、大野晋さんの『日本語練習帳』に出会い、その著書の幾つかに触れることとなりました。●それでは、私の個人的な「思い出」も織り交ぜながら、大野晋さんの『日本語練習帳』のさわりをご紹介します。
●皆さんは、「私は山田です。」と「私が山田です。」の違いを、明確に説明することができますか。また、「私は山田です。」と「山田は私です。」あるいは「山田が私です。」の違いを説明することができるでしょうか。●日本語の「は」と「が」の違いについては、奥の深いものがあると感じませんか。●さらに、皆さんは「思う」と「考える」の違いを考えたことがありますか。「通る」と「通じる」、「嬉しい」と「喜ばしい」の意味を正しく理解して使い分けていますか。またまた、「大丈夫」の使い方を間違えてはいないでしょうか。●本著は、清少納言の枕草子で有名な「春はあけぼの, 夏は夜」を手本として、食堂での「私はうどん、貴方はタヌキそば」という会話の意味する根本的な違いなどに触れながら、言葉を敏感に捉える練習から始まって、文章の組立てや展開、そして敬語の基本など、練習問題に答えながら日本語を「トレーニング」出来るように作られた、まさに「練習帳」と呼ぶべき1冊です。●つまり『日本語練習帳』は、日本語という慣れ親しんだ言語について、改めて「ことば」という視点から向き合う機会を私たちに与えてくれるのです。そして日本語の奥深さや面白さを楽しみながら、なおかつ文章が上達するように工夫された1冊となっています。●「まえがき」「Ⅰ 単語に敏感になろう」「Ⅱ 文法なんか嫌い――役に立つか」「Ⅲ 二つの心得」「Ⅳ 文章の骨格」「Ⅴ 敬語の基本」「配点表」「あとがき」という構成となっている本著は、単語の意味に敏感になることの大切さや、文章を書くためにはまず読み慣れることの必要性、文章を縮尺(要約ではなりません。まさに文章全体を網羅なく縮尺してまとめることです。)することの勧めが述べられています。
●私は高校生の時、「矜持(矜恃)」という言葉に初めて触れ、まさにその人の思いを的確に表した言葉だと感動した経験があります。●「誇り」や「自信」、ましてや「プライド」などの言葉では表しきれない、その人の人柄、気質すら感じることができたからです。●小学生時に出会った「常套句」を始めとして、「寡聞」「肺腑の言」「仄聞」「灘声」などの「ことば」との出会いは、私の耳目を開き、「ことば」の包含性という気づきを与えてくれました。●正直、高校生までは文法は好きではありませんでしたが、大学で「は」と「が」の違いについて学ぶことをきっかけに、大好きではありませんが、文法への興味が湧きました。●やはり「ことば」は生きています。●既述したことですが、「見る」という尊敬語において、「ご覧になる」なのか、「叡覧」なのか、その使い分けこそがその人の「思い」をより的確に表現する術のひとつなのです。●「雨が降りそうだ。」と「雨が降るようだ。」を明確な意思を持って使い分けることは大切なのです。●自分の思いであるAを相手に伝えたいとき、Aと表現したつもりでも、相手がA’と受け取ったとしたら、それは相手がA’と受け取るような表現しかできなかった自分に力がなかったのかもしれません。●またまた、相手がBという「思い」を表現していたのに、こちら側にそれを読み取る力がなくB’としか理解できかったらとても残念なことです。●文法にしろ、語彙にしろ、日本語をより深く掴まえるための努力をしていかなければと思うところです。そしてそういう行為が語学ということなのだろうと考えています。
●文脈によって「明白な」「明確な」「明晰な」「鮮明な」を的確に選択しながら会話ができる、表現できる力を身につけるためにも、事例をふんだんに交えながら、日本語の奥深さ、表現の豊さが説かれている、本著を手に取ってみてはいかがでしょうか。