2021年9月の記事一覧
二尊院の言葉
◆二尊院の言葉◆
●本日は、京都の嵯峨にある「小倉山 二尊院」の言葉を紹介します。●この言葉は、私が35歳の時、当時勤務していた学校長より、良いことが書かれているからといただいた言葉です。
人生五訓
あせるな/おこるな/いばるな/くさるな/おこたるな
心の糧七ヵ條
一 此の世の中で一番楽しく立派なことは生涯貫く仕事をもつことである
一 此の世の中で一番さみしいことは自分のする仕事がないことである
一 此の世の中で一番尊いことは人の為に奉仕して決して恩に着せないことである
一 此の世の中で一番みにくいことは他人の生活をうらやむことである
一 此の世の中で一番みじめなことは教養のないことである
一 此の世の中で一番恥であり悲しいことはうそをつくことである
一 此の世の中で一番素晴らしいことは常に感謝の念を忘れずに報恩の道を歩むことである
幸福の道
家内仲よく ゆずりあい / 先祖に感謝 親を大切に
空気に感謝 社会に報恩 / 身体を大事に 仕事に熱心
人には親切 我が身は努力 / よく働いて 施しをする
不平不満や 愚痴を言わず / 人を恨まず 羨まず
口をひかえて 腹立てず / 親切正直 成功のもと
気(きはながく) / 心(こころはまるく)
腹(はらたてず) / 口(くちつつしめば)
命(いのちながかれ)
●耳の痛いお言葉ばかりです。●今でも時々、この言葉を思い出しては、自己の言動を反省をしているところです。
ちょっと一息(お勧めの作者)
ちょっと一息(お勧めの作者)
◆村上春樹さんの世界◆
●本日は、村上春樹さんの小説について、書評的手法を用いた紹介を試みようと思います。●村上春樹さんの作品は、「現実の世界」と「過去の世界」、「こちら側の世界」と「あちら側の世界」といった対立軸をベースとし、そこに「呪い」や「暴力」といった「悪」をテーマに織り交ぜて、登場人物の苦悩、厭世、勇気、成長などを描いた内容となっていると考えています。●例えば、『羊をめぐる冒険』は、「父」から「羊」の継承(裏社会の権力者として世の中を牛耳る者)の呪いをかけられた鼠(主人公の親友)の話ですが、自殺することで悪の継承を拒否するとともに、「死の世界」から「現実の世界」に残存する「悪」を抹殺するという小説です。つまり父の呪いを自らの死をもって打破しようとした鼠の苦悩が描かれています。●また『ノルウェイの森』では、「過去の世界」に引き寄せられた直子が、「現実世界」で生きることよりも自らの死を選択するという内容です。直子が「過去の世界」を求め続けなければならない悲しみ、哀愁が主人公の目を通して静謐に語られています。果たして直子が自己の抱えた苦しみを解放し、自殺をせずに「現実世界」で生き続けるためには、何が必要だったのでしょうか。●その「問い」に対するひとつの回答が『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のテーマではなかったのかと考えます。●その答えは「あちら側の世界」に「自分の世界」をつくることです。そして「過去の思い出」を大切にしながら生きていくことさえできれば、「現実の世界」でも生きていけたのではないでしょうか。●直子はそれができなかったのです。●しかし『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の主人公はそうすることで、「あちら側の世界」から「現実の世界」へ戻ることができたのではないかと考えます。●それでも疑問が残ります。●「あちら側の世界」に「自分の世界」をつくった人間は、「現実の世界」において本当の自分なのか、ということです。外見上は確かに生きてはいますが、本当の意味で「現実世界」に生きる意味、存在価値があるのかということです。●村上春樹さんは、『海辺のカフカ』で、その答えを示しています。●『海辺のカフカ』は、「あちら側の世界」に身の半分を置いた父に「(お前はいつか)父を殺し、母と姉と交わる」という「血の呪い」をかけられた15歳の少年(カフカ)の成長物語です。●カフカが、悪を継承することもなく、父を現実に殺すこともなく、いかに呪いを打破して「現実世界」で生きていけるのかを描いているのです。●『海辺のカフカ』には佐伯さんという50歳を超えた美しい女性が登場します。●彼女は、半身が「あちら側」へ行ってしまった人間です。●佐伯さん自身は「あちら側」で「過去」とともに生きており、「現実世界」の彼女は虚無感に覆われた残像のようなものです。●またナカタさんという初老の記憶を失った人物も登場します。●ナカタさんは「あちら側」に連れて行かれたしまった人物です。●ですから「現実の世界」では「空っぽ」の人物として描かれています。●「過去の世界」に生き「現実世界」に背を向ける佐伯さんや「あちら側の世界」にすべてを持っていかれ「空っぽ」のナカタさんがそれぞれ最後にとった行動にこそ、心身ともに「現実世界」に戻る(戻す)ための「答え」が暗示されていると感じました。●それは「現実の世界」から「あちら側の世界」へ導く様々な要因である「悪」、その連鎖を断ち切るための「救い(救う)」が必要であると言うことです。
●戦争、暴力という「悪」をテーマに取り上げた『ねじまき鳥クロニクル』では井戸が、宗教をテーマにとした『IQ84』では高速道路の階段が、●無がテーマの『騎士団長殺し』では、祠が「あちら側の世界」へと導いています。●「あちら側の世界」に居るミュウと行ってしまったすみれを描いた『スプートニックの恋人』●『羊をめぐる冒険』の続編である『ダンス・ダンス・ダンス』などなど、機会がありましたら、村上春樹さんの小説が語るテーマの連続性に触れてみてはいかがでしょうか。
ちょっと一息(お勧めの1冊)
◆ちょっと一息(お勧めの1冊)◆
著書名:『ソフィーの世界』 作者名:ヨースタイン ゴルデル
●本日は、ヨースタイン・ゴルデルが著した『ソフィーの世界』を紹介します。●本書はファンタジーとして、ミステリーとしても読むこのできる物語形式をとった哲学入門書です。●難しい哲学の内容を易しく、それも哲学の歴史について非常に分かりやすく整理されているため、哲学について、俯瞰的にそして体系的に学ぶことができる一冊となっています。●手紙を通じて行われる対話形式の軽快なテンポに合わせ、主人公のソフィーと共に考え、感じて歩んでいく時間は心地良く、学びの多い体験となるはずです。●哲学の講義はどれも興味深い謎に満ちているとともに、「人間の存在」について考える上で、素晴らしい構成となっています。●特に、登場人物の関係性が明らかになる中盤以降は、物語にぐいぐい引き込まれ、先を読み急ぎたくなること請け合いです。●本書は1991年に出版され、全世界で2600万部以上を売り上げたベストセラー作品です。発売から30年が経過しても全く古くささを感じさせません。●哲学という古から続く学問がテーマであること、物語としての魅力があることが、その理由だと思います。●600ページを超える長編作品ですが、普段、あまり考えることのない疑問について考えることは、思考の幅を広げることにつながるはずです。●ぜひソフィーと共に生徒になって、哲学の問題に取り組んでみてはいかがでしょうか。●では、簡単にあらすじを紹介します。
●ある日、ソフィー(14歳の少女)のもとへ一通の手紙が舞い込みます。消印も差出人の名もないその手紙にはたった一言、『あなたはだれ?』と書かれています。思いがけない問いかけに、ソフィーは改めて自分をみつめ直すことになります。次の手紙には『世界はどこからきた?』と書かれた紙きれが入っています。ソフィーは今いる世界、そして自分自身が誰なのかという疑問について考えます。「わたしっていったいだれなんだろう?」今まで当たり前だと思っていたことが、ソフィーにはとても不思議なことのように思えてきたのです。それからも問いが書かれた手紙が届き続け、簡単な哲学の講義が始まります。どこの誰とも分からない相手からの手紙ですが、ソフィーはいつの間にか哲学の世界に足を踏み入れていくのです。●不思議なことは他にも起こります。ソフィーの元にヒルデという少女宛ての手紙が何度も届きますが、ソフィーはその少女を知りません。ヒルデとは一体誰なのでしょうか。どんな秘密が隠されているのでしょうか。●その謎が少しずつ明かされていくという展開構成となっています。
●『ソフィーの世界』は、手紙を通しのやり取りとなっているため、疑問を投げかけるとそれに対しての回答を得ることができます。●また、ソフィーは「問い」について真剣に考え、自分の答えを導き出したり手紙の差出人に疑問を投げかけたりします。●そして、そのソフィーが導き出した答えは、私たち読者が「哲学」について考えるためのヒントともなっています。●他の教科書や専門書を読むよりもずっと哲学を身近に感じることが出来る作品となっていますので、ソフィーと一緒に哲学について考えてみてはいかがでしょうか。
美しい日本語、正しい日本語
◆美しい日本語、正しい日本語◆
●まず、「美しい日本語、正しい日本語」を身に付けるためには、とにかく「語彙力」を身に付ける必要があると私は考えています。●自分の言いたいことをしっかり伝え、自分の思いを理解してもらうためには、チーズや小麦粉だけではおいしいピザが仕上がらないように、4番バッターだけでは強い野球チームができないように、吹奏楽の演奏で、管楽器だけでは素敵なハーモニーを奏でることができないように、少ない語彙では、自分の思いを相手に伝えることは難しいのです。●持っている語彙が多ければ多いほど、言葉は色彩豊かになり、人の心に届きます。人の心を打つことができるのです。●そして、語彙力を身に付けながら、その言葉を「適材適所」に使う力を養っていく必要もあります。せっかく身に付けた語彙を宝の持ち腐れとしてしまっては、残念だからです。●例えば、面白いと感じながら読んでいた物語でも、突然、違和感のある文章に出会い、興ざめしてしまったということはなでしょうか。また反対に、「雲が流れ、山がわたしに迫ってきた」や「車窓から風が殴り込んできた」という言葉に出会い、本当に風の動きが見えたり、風の強さを感じた経験はないでしょうか。●「ご覧ください」という意味を表す言葉には、「笑覧」「高覧」「清覧」などがありますが、私的なのか、仕事上のことなのか、文章にしたためるのか、話題の人物は誰か、伝える相手は誰かなど場面によって使い分けることができたら素敵ではないでしょうか。●例えば、「天皇陛下がご覧になった」より、天皇陛下に対してのみ使用する最高敬語を用いて「天皇陛下が天覧(叡覧)なさった」と表現した方が締まった表現となり、相手に与える印象も異なってくるはずです。●このように、言葉は適材適所に用いてこそ本来の力を発揮するのです。●さらに、大岡信さんの『言葉の力』でご紹介したように、「美しい言葉、正しい言葉」とは、実は、表面的な美しさや正しさではなく、それを発した人の思い、気持ち、その基盤となる人間性が大切でもあるのです。●黒髪の描写において「つやつや」「はらはら」「ゆらゆら」という3種類の擬態語を使い分け、『源氏物語』に登場する女性たちの人格をも表現しきった紫式部のすごさを感じながら、ことわざ、慣用句、四字熟語、故事成語などを含めた、日本語という武器を一生のものとできるように、子供たちには日本語を勉強し続けて欲しいと願っています。
ピンク・レディーの未唯mieさん
◆ピンク・レディーの未唯mieさん◆
●本日は、ピンク・レディーの未唯mieさんのインタビュー記事に触れる機会がありましたので、その内容のさわりを紹介いたします。
●ミー(現:未唯mie)さんは、1970年代後半から1980年代初頭にかけて、ケイ(現:増田恵子)さんとピンク・レディーを結成し、ダンス・ミュージック系アイドルとして活躍しました。●「ペッパー警部」でデビューした二人は、、「S・O・S」や「渚のシンドバッド、「ウォンテッド(指名手配)」など9曲連続オリコンチャート入りを果たすなどヒット曲を連発しました。●休み時間になる度に、「UFO」を歌いながら踊る子供たちが社会現象となるなど、その人気はすさまじく、当時小学校6年生であった私に、一世風靡をするとは、この二人のようなことなのだと、実感させてくれました。●私の同級生(女の子)も、ミー役とケイ役になって踊りながら歌っていたことが、今でも思い出されます。
●未唯mieさんは、引っ込み思案な自分を変えたいという思いから、中学校のクラブ活動は演劇クラブを選びます。●クラブ活動をとおして、自分の感情を表現できることに感動を覚えた未唯mieさんは、「人の前に立って自分自身を表現したい」と真剣に考えるようになります。●当時、「夢」について、歌手志望のケイ(現:増田恵子)さんと互いに語り合っていたそうです。●未唯mieさんは、中学校3年生の時、夢(役者になる)を叶えるためにオーディション番組に出場しますが、このことが後のピンク・レディー誕生へつながります。●残念ながら予選で不合格になりましたが、この時、未唯mieさんは、舞台袖で和田アキ子さんが後輩の森昌子さんを膝の上に乗せて頭をなでている姿を見かけます。●親から厳しくしつけられ、親に十分に甘えられなかったと述懐する未唯mieさんは、その姿にうらやましさを感じ、「歌手になれば、先輩からあんふうにかわいがってもらえるんだ」と思ったそうです。●この話を聞いたケイ(現:増田恵子)さんと「一緒に歌手を目指そう」と誓い合い、プロの歌手を目指すことになります。●そして二人は、「プロになるまで決して泣かない。泣いたらビンタする」と約束を交わします。●ピンクレディーとしてデビューするまでには、いくつもの試練があり、苦しい毎日だったそうです。●思うように歌うことができず、レッスンの途中で先生から「レッスンは終わり!」と告げられ、ケイ(現:増田恵子)さんが泣き出してしまったことがあります。●未唯mieさんは、「約束だからね」とケイ(現:増田恵子)さんの頬をたたき、二人で泣いたそうです。●それ以後、プロデビューするまで泣いたことはないと未唯mieさんは語ります。●このようしてピンク・レディーとしてデビューした二人ですが、とにかく多忙な日々を過ごしたことは、引退した後のドキュメンタリー番組で何度か放送されましたので、皆さんもご存じかも知れません。
●ピンク・レディーの誕生には、中学生で「人の前に立って自分自身を表現したい」という強い意志を持ち、一人は役者に、一人は歌手になると「夢」を抱いた二人の少女がいたからなのです。●そして何よりも、「夢」を叶えるための実行力に感動します。「夢」を叶えるための努力に感動します。●もちろん、それを支え合った未唯mieさんとケイ(現:増田恵子)さん、友人(親友)の存在も大きいのです。未唯mieさんは、ケイ(現:増田恵子)のことを「親友」のレベル超えて、最後には「戦友」となったとも語っています。
YouTubeをプロディースする
◆YouTubeをプロディースする◆
●ご存知の方も多いかもしれませんが、この度、再生回数が6億回を超えた「もちまる日記」もちまるが「YouTubeで最も視聴された猫」としてギネス世界記録の認定を受けました。●このYouTubeチャンネルを開始してから、わずか2年での偉業達成です。●「もちまる日記」とは、スコティッシュフォールドの「もちまる(もち様)」の何気ない日常を、飼い主(下僕)がYouTubeに投稿している番組です。●この番組が、これだけ人気を博し、多くのリピーターを確保しているのには、訳がありそうです。●それは、番組制作者である、飼い主(下僕)さんのプロデューサーとしての手腕によるところだろうと私は考えています。
●ところで、話は変わりますが、「子供たちのスマートフォン等の所持率」について調査をしました。その結果、7割程度の子供たちがスマートフォンやタブレット等の情報機器を所持することが明らかとなりました。●また、利用内容については、LINEによる友人同士のやり取り、YouTubeの視聴に加え、InstagramやTikTokなどによる映像、動画の配信を行っているようです。●時代の衰勢にしたがえば、この現状は当然のこととも考えられます。●だからこそ、子供たちにはスマートフォン等の情報機器を利用する際の利便性に加え、そのリスクについてもしっかり理解した上で、主体的に、そして賢く活用して欲しいと願っています。
●本日は、その「賢く」活用するという観点から、多くの子供たちが閲覧しているであろうYouTubeの動画について、「もちまる日記」の人気の理由を考察する過程を通して、その使い方を提案してみたいと考えています。●それは、自分が気に入っているYouTubeをプロデューサーの視点で分析してみてはどうかということです。●プロデューサーとは、テレビ、音楽、ラジオの番組、映画、コンサートなどを制作するリーダーです。つまり現場の責任者です。●YouTubeを制作するプロデューサーは、
1 何回も視聴してもらうためには、どうしようか。
2 他の動画との差別化をどう図ろうか。
3 今までない、より魅力的なものにするためにはどうしようか。
などを考えながら、番組を制作しています。
●それでは、「もちまる日記」を人気番組に押し上げるために、どのような点に気を配りながら番組を制作したのか、私になりに考察してみました。
1 毎日、新たな動画が配信すること
2 全体的にゆったりとした時間が流れている雰囲気を作ること
3 動画配信の時間が、長すぎず、短すぎないようにすること
4 常に、「もちまる(もち様)」を中心としたストーリー性をもたせること
5 バックミュージックとして流れている音楽を癒やし系にすること
6 「飼い主(下僕)」の「もちまる(もち様)」への愛情を全面に表すこと
7 テロップのコメントにウィットをもたせるようにすること
8 作為的な内容ではなく、あくまでも「もちまる(もち様)」の自由奔放な姿を配信すること
など、意図的な制作過程があると考えました。●そのことで、全体の流れが落ち着き、選び抜かれた音楽によるバックミュージックがその効果をあげています。●また、飼い主さんが「下僕」に徹し、「もちまる」を「もち様」=「猫様」として、猫につくし続けるその姿が、「もちまる(もち様)」を中心とした猫の生態をありのままに映し出すとともに、そこにストーリー性が生まれ、「もちまる」の可愛さをなお一層引き立てているのだろうと思います。●また、配信する動画は基本的には、「もちまる」の生活の一部が意図的に切り取られ、そこに「飼い主(下僕)」さんの「もちまる(もち様)」への愛情たっぷりのコメント、それもウイットを利かせ、「もちまる(もち様)」の気持ちを代弁したり、日頃の性格などを説明し補ったりしています。そのことにより視聴者は、時に「もちまる(もち様)」へ愛おしさを感じたり、おもわず吹き出したりしてしまうのだと考えます。●これらの理由により、閲覧回数が増えたのだと思います。
●子供たちには、自分のお気に入りのYouTubeを視聴し、楽しい、面白いというだけで終わらせて欲しくないと感じています。●もちろん、精神的リラックスのため、癒やしのため、楽しむためといった理由はとても大切なことですが、時には、「なぜ、何回も同じ動画を見てしまうのか」、「他の動画と何が異なるのか」を考えて欲しいのです。そして「自分ならこの動画にどんな音楽を入れたいか」、「場面構成をどう変えてみたいか」、「動画の時間はどれ位にするか」といった、プロデューサーとしての視点で改善策を提案することも勧めたいのです。●そのことは、楽しみながら、思考力を鍛えることにつながるとともに、実は、「今の子供たちに求められている資質・能力」のひとつでもあるのです。●そして、そこで鍛えられた思考力は、別の場面で必ず生きて働くものだと、私は信じています。
体験から「経験」へ
◆体験から「経験」へと昇華◆
●私は、体験を体験のままで終わらせることなく体験を「経験」へと昇華させることが、とても大切だと考えています。●私たちは、日々の生活の中で、様々な体験をしていますが、そのほとんどが自分の意思とは関係なく起こっている事象です。例えば、街角で知り合いに出会う、登校途中に雨に降られる、1時間限目の国語の授業に参加するなど、偶然、突発を含め、誰かの意図によって与えられた事象といってもよいのです。もちろん、大好きなサッカーの試合に出場するなど、自らの意思から積極的な体験をすることもあります。●しかし、与えられた体験であろうと、自らの意思による体験であろうと、体験したことをそのままにしていたのでは、「経験」へと昇華させることはできません。●なぜなら、体験は自分の外側に存在し、「経験」は自分の内側に存在するものだからです。だから、外側に存在する体験を自分の内側に存在させるための操作が必要となります。●その操作とは、体験したことを「思考」する、「言語化」するということです。つまり、自分が体験したことは、結局、どういう意味を持つものであったのか、今後へどう繋げていくべきかと「思考」し、必要に応じて「言語化」するのです。言い換えれば、外側にあるものを内側に存在させるための操作を行うことで、自分の思考力・判断力・表現力などを高め、知的財産へと導くことが、体験を「経験」へと昇華させると言うことなのです。
●学校教育においては、体育祭や学校祭などの学校行事や高齢者との交流学習といった学年行事を行った際は、必ず、活動について話し合ったり、感想を書くなどの振り返りの時間をとっています。体験したことを振り返る活動を通して、「思考」させ、「言語化」させることで、外側に存在した体験を「経験」として内側の存在へと昇華させるねらいがあるからです。●ですから、この振り返りが表面的な活動であると、体験を体験のままとして終わらせてしまうことになります。●また、体験は当然、学校行事ばかりではありません。いや、それ以外の体験を子供たちは日々の生活でたくさんしています。●子供たちが、その体験を必要に応じ、「思考」し、「言語化」することで、内省するという習慣を身に付けて欲しい、そのための手立て、仕掛けを行っていく必要が、今まで以上にあると考えているところです。
ちょっと一息(お勧めの1冊)
◆ちょっと一息(お勧めの1冊)◆
著書名:『高瀬舟』 作者名:森鴎外
●本日は、『舞姫』や『山椒大夫』などの著作で知られる森鴎外さんが著した『高瀬舟』を紹介します。●「高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。」という書き出しから始まる物語です。船の上で交わされる会話だけで進行し、当時の時代背景や登場人物が丁寧に描写され読みやすい作品です。●『高瀬舟』(大正5年)は、現代においては古典として感じられる方も多いようですが、扱われているテーマが現代でも通じる「足るを知る」と「安楽死」という内容であるとともに、文庫本16P程度の短編ですので、是非目を通して欲しい作品のひとつです。●ここで、森鴎外さんについて少し紹介をします。明治時代から大正時代にかけての小説家ですが、代々医師の家系に生まれ、東京帝国大学(現東京大学)医学部卒業後、軍医としてドイツへ留学するなど、超エリートとでもありました。森鴎外の代表作のひとつである『舞姫』は、このドイツ留学の際の出来事が下地となっていることは有名です。●それでは、簡単にあらすじを紹介します。
●罪人を護送するため、京都の高瀬川を下る「高瀬舟」があります。「高瀬舟」とは京都から罪人を島流しにする際、その護送のための船のことです。同心の「庄兵衛」は、弟を殺したという男「喜助」を船に乗せます。庄兵衛は、殺人を犯したはずの喜助が安らかな顔をしている、いや楽しそうにさえしていることに不思議さを感じます。実は、喜助は、病気の弟が自殺に失敗し苦しんでいるのを見ていられず、その手で殺してしまった咎で、殺人罪として島流しの刑になったのです。喜助の境遇を聞いた同心・庄兵衛は、「喜助のしたことは罪なのか」と心に疑いを残したまま、舟をこぎます。●また、庄兵衛は同心という安定した職業につきながら、高瀬舟での護送を「不快な職務」として不満に思っていました。そして妻の実家が裕福なことでお金に不自由することもありませんでしたが、そんな立場に負い目も感じていました。一方、喜助は貧しい生まれで、まとまったお金を持ったこともありませんでした。それが島流しになり、「島はよしやつらい所でも、鬼のすむ所ではございますまい。」「それにお牢を出る時に、この二百文(※現在の価値で5,000円くらい)をいただきましたのでございます。」「お足(金)を自分の物にして持っているということは、わたくしにとっては、これが始めでございます」と満足そうにしています。庄兵衛はそんな彼の姿を、驚きと敬意をもって見つめます。お金や地位を手に入れた庄兵衛は、自分にはないものをさらに欲しがりますが、何も持っていなかった喜助はわずかなもので満足しているのです。つまり無意識のうちに『足るを知っている』のです。
●この物語は、庄兵衛が喜助との関わりにより、人生の喜びや悲しみ、理想の生き方や死に方など、深く難しい問題に目を見開かされるという作品です。●さて、病気に苦しむ弟の自殺を手助けした兄は、果たして「人殺し」を犯したと言えるのでしょうか。それとも「安楽死」として認めるべきなのでしょうか。そして「安楽死」あるいは「尊厳死」という考え方は正しいのでしょうか。またまた、わずかなもので満足する心、「足るを知る」という考え方、生き方の本当の意味とはどういうことなのでしょうか。●皆さんも一読し、この深く、そして難しい問題を考えてみてはいかがでしょうか。
「想像力」を豊かに
◆「想像力」を豊かに◆
2学期のスタートに当たり、子供たちに「想像力」という言葉を贈りました。「想像力」とは、「自身が体験していないことや未知の事象などについて、頭の中で思い描く力」のことです。「想像力」を持つことで、視野が広がり、新たな発想、考えが生み出されると言われています。しかし、私は、子供たちが学校生活を始めとした日常生活で様々な人々と関わる際、相手の立場を理解し、相手の立場になって物事を推し量れる、そんな子供たちに成長して欲しいという思いから、「想像力」という言葉を贈りました。
人それぞれは、それぞれの個性があり、性格も異なっています。育った環境も同じではありません。当然、物事のとらえ方、考えに差異が生じ、価値観が違うのは当然のことです。だから、同じ事象でも受け止め方、感じ方が異なります。何気ない一言が、「相手を傷つけてしまった。」というのは、よく聞くことです。「相手はどう感じるのだろう」という視点が欠落した結果といえます。自分が一人の個であると同時に相手も一人の個なのですから、そのような異なる者同士で円滑にコミュニケーションを図るためには、表層には現れていない相手の気持ちや前提を想像し、補わなければ、このような現象は起こり得るのです。だからこそ、「想像力」を持つこと、それを豊かにすることは大切なのです。子供たちには、「悲しんでいる友達のその悲しみと、全く同じ悲しみを抱くことはできません。しかし、想像力を働かせられれば、その悲しみに近づけます。想像力を持つことで、視野を広げ、柔軟な思考により、相手の立場で物事を考え、相手の気持ちを理解しようとする習慣を身につけて欲しい。」と伝えました。
私には、この「想像力」に関しての失敗談がいくつもあります。例えば、ひとつの例を挙げれば、ある友人に悩み事を相談された時、私なりの慰めや、助言をしたのですが、後から振り返ってみると、それは、慰めが欲しかったのではなく、ましてや助言など欲しくはなかったのだなあ。ただひたすら、話を聞いて欲しかった。同調、同意だけして欲しかったのだな、と後悔したことがあります。「想像力」の欠如による失敗です。的確なアドバイスが欲しいわけではなく、ただひたすら話を聞いて欲しいという人もいる、そういう時もあるという「想像力」が、私にはその時、働かなかったのです。今、思い出しても恥ずかしく、自分の未熟さを痛感させられた出来事です。
私ばかりでなく、「想像力」の欠如による失敗が、誰にでも大なり小なりあるのではないでしょうか。このように、「想像力」を豊かにすることは大切であると理解していても、その「想像力」を身に付けること、ましてや豊かにすることは、簡単ではないようです。だからこそ、どのようにしたら「想像力」は身に付くのか、豊かにできるのかを考えたり、友人などと話し合ったりしていく必要があります。子供たちには、「自身が体験していないことや未知の事象などについて、頭の中で思い描く力」は、どのようにしたら身に付くのか、そしてそれを豊かにするためには、何を意識しどんな努力をしていく必要があるのかを、本校教職員を始め、保護者の皆様と一緒に考えていって欲しいと願っています。
ちなみに私は、「想像力」を豊かにするために、次に示す5つを意識しています。もちろん、できないことも多く「自戒の念」ばかりではありますが…。
1 人に興味を持つこと
2 様々な分野の情報、知識を広げること
3 疑問を抱いた事象について、自分なりの答えを導き出すこと
4 自分の考え、意見と、反対の立場に立つ人の考え、意見を思うこと
5 自分と立場や考え、意見の異なる人と積極的に関わること