大岡信さんの言葉
●大岡信さんの言葉
本日は、詩人の大岡信さんの言葉を紹介します。大岡信さんと言えば、28年の長き渡り、朝日新聞の朝刊に連載したコラム『折々のことば』が有名です。私は、毎朝、大岡さんの『折々のことば』に目を通すのが日課でしたので、大岡さんが亡くなられ今、それがかなわないことが残念です。本日紹介する言葉は、中学校2年生の国語科教科書に掲載された『言葉の力』からです。
『言葉の力』から
人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。しかし、私たちが用いる言葉のどれをとってみても、単独にそれだけで美しいと決まっている言葉、正しいと決まっている言葉はない。
ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、別の人がそれを用いたとき同じように美しいとは限らない。
それは、言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものだはなくて、それを発している人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまうところにあるからである。
●大岡信さんは、京都の嵯峨に住む染織家志村ふくみさんとの会話から、桜の花びらのピンクは、実は、木全体(桜は、春先になると幹や樹皮、樹液までがピンクとなる)で懸命になって最上のピンクの色を作り出し、ほんの先端だけその姿を出していることを教えられます。つまり、私たちの限られた視野の中では、桜の花びらに現れ出たピンクしか見えませんが、木全体の一刻も休むことのない活動の精髄によってあのピンクが現れているのです。●大岡さんは、この話から「言葉」も実は桜の花びらのピンクと同様に、美しい言葉、正しい言葉とは、表面的な美しさや正しさではなく、それを発した人の思い、気持ち、その基盤となる人間性によるものだと述べています。●私たちは、一語一語のささやかな言葉のささやかさ、そのものの大きな意味を実感していく必要があるようです。●そのためにも、たった一つの言葉を発するにも長い時間をかけ、時に我慢をする覚悟が必要です。●美しい言葉、正しい言葉というものは、その言葉を発する人の芯(幹)が美しく、正しくなければ、美辞麗句としかなり得ないからです。●このことは、私たち人間が、「言葉」の世界を背負っていると言っても過言ではないということです。●大岡信さんの『言葉の力』に触れ、改めて「言葉」の重み、大切さを感じています。