体験から「経験」へ
◆体験から「経験」へと昇華◆
●私は、体験を体験のままで終わらせることなく体験を「経験」へと昇華させることが、とても大切だと考えています。●私たちは、日々の生活の中で、様々な体験をしていますが、そのほとんどが自分の意思とは関係なく起こっている事象です。例えば、街角で知り合いに出会う、登校途中に雨に降られる、1時間限目の国語の授業に参加するなど、偶然、突発を含め、誰かの意図によって与えられた事象といってもよいのです。もちろん、大好きなサッカーの試合に出場するなど、自らの意思から積極的な体験をすることもあります。●しかし、与えられた体験であろうと、自らの意思による体験であろうと、体験したことをそのままにしていたのでは、「経験」へと昇華させることはできません。●なぜなら、体験は自分の外側に存在し、「経験」は自分の内側に存在するものだからです。だから、外側に存在する体験を自分の内側に存在させるための操作が必要となります。●その操作とは、体験したことを「思考」する、「言語化」するということです。つまり、自分が体験したことは、結局、どういう意味を持つものであったのか、今後へどう繋げていくべきかと「思考」し、必要に応じて「言語化」するのです。言い換えれば、外側にあるものを内側に存在させるための操作を行うことで、自分の思考力・判断力・表現力などを高め、知的財産へと導くことが、体験を「経験」へと昇華させると言うことなのです。
●学校教育においては、体育祭や学校祭などの学校行事や高齢者との交流学習といった学年行事を行った際は、必ず、活動について話し合ったり、感想を書くなどの振り返りの時間をとっています。体験したことを振り返る活動を通して、「思考」させ、「言語化」させることで、外側に存在した体験を「経験」として内側の存在へと昇華させるねらいがあるからです。●ですから、この振り返りが表面的な活動であると、体験を体験のままとして終わらせてしまうことになります。●また、体験は当然、学校行事ばかりではありません。いや、それ以外の体験を子供たちは日々の生活でたくさんしています。●子供たちが、その体験を必要に応じ、「思考」し、「言語化」することで、内省するという習慣を身に付けて欲しい、そのための手立て、仕掛けを行っていく必要が、今まで以上にあると考えているところです。