校長室から
ちょっと一息(お勧めの1冊)
ちょっと一息(お勧めの1冊)
著書名:『わたしを離さないで(Never let me go)』 作者名:カズオ・イシグロ
●本日は、カズオ・イシグロさんが著した『わたしを離さないで(Never let me go)』を紹介します。ノーベル文学賞を受賞した作家であり、2011年に映画化もされているので、ご存知の方も多いかも知れません。長編となりますが、私のお気に入りの1冊ですので、ご紹介いたします。
●「ヘールシャム寄宿学校」に隠された奇妙な真実が「キャシー・H」という女性によって語られます。ルースやトミーとの忘れ得ぬ思い出の物語です。●キャシーは「介護人」として働き、年若くしてその職を辞そうとしています。●イギリスの曇天を想起させる、おそらくは寒々とした片田舎を舞台に、こども時代を回想する当たり前の始まりが、胸をえぐられるような結末になろうとは想像もできません。●ヘールシャムの描写、その思い出は、行ったことも、見たこともない場所ですが、なぜか郷愁の念を感ぜずにはいられません。しかしながら結末を迎え、改まってヘールシャムの美しい思い出の地を思うと、恐ろしささえ漂ってきます。●本作品は、過去のキャシーとともに、隠されていた真実を探す「旅」なのです。●正しいのはルース先生かエミリ先生なのか。はたして徐々に運命が明らかになるという方法は「提供者」を幸せにするのでしょうか。●コテージで自発的に「介護者」になる道を選択させるしくみは残酷ではないでしょうか。●ノーフォークへの小旅行のエピソードで、いよいよ隠された秘密の確信が明確になってきます。私たちは、その真実に気付き始めたとき、心を痛めずに先を読み進めることなどできないはずです。●キャシーの語りは常に淡々としていています。そして何気ない会話や動作に潜む相手の心を的確に捉えます。しかし決して無感情なのではなく、むしろそこには「最期」という瞬間を起点に、「生」を見つめる眼差しが感じられます。過ぎ去っていく者たちへの愛情すら垣間見られます。●登場人物たちの微妙な心理の揺れ動きが、細やかに描かれた作品です。●抗えない運命、そして置かれた状況を受け入れて過ごす日々、自分や他人の感情の起伏に戸惑いつつも愛することの希望を失わない、そんな姿が静謐なタッチで生き生きと描かれています。●はたして「介護人」とは「提供者」とは、どんな意味をもつ「ことば」なのでしょうか。ぜひ、その謎解きをしてみてはいかがでしょいうか。
イチローさんの言葉
●鈴木一郎(イチロー)さんの言葉
●本日は、プロ野球で大活躍をしたイチローこと「鈴木一郎」さんの言葉を紹介します。●鈴木一郎さんの業績、そして日本球界をはじめメジャーリーグに刻んだ燦然たる記録については、私から改めて申し上げることもないでしょう。●鈴木一郎さんのことを「天才」と称する方々も多くいられますが、そんな称賛の言葉に対して鈴木一郎さんは、「自分の可能性を信じ、夢をもち、それを目標に変えて、日々、努力してきた結果が今である。努力した結果、何かができるようになる人のことを『天才』というのなら、僕はそうだと思う。」と応えています。●そんな、鈴木一郎さんの言葉から、本日は、目標を達成させる(努力し続ける)ためのヒントとなる言葉を紹介します。
1 夢は近づくと目標に変わる
2 夢や目標を達成するには1つしか方法がない。小さなことを積み重ねること
3 今、自分にできること。頑張ればできそうなこと。そういうことを積み重ねていかないと遠くの目標は近づいてこない
4 ここまで来て思うのは、まず手の届く目標を立て、ひとつひとつクリアしていけば最初は手が届かないと思っていた目標にもやがて手が届くようになる ということですね
5 高い目標を成し遂げたいと思うなら、常に近い目標を持ちできればその次の目標も持っておくことです。それを省いて遠くに行こうとすれば、挫折感を味わうことになるでしょう。近くの目標を定めてこそギャップは少ないし、仮に届かなければ別のやり方でやろうと考えられる。高い所にいくには下から積み上げていかなければなりません
6 苦しみを背負いながら、毎日小さなことを積み重ねて、記録を達成した。苦しいけれど、同時にドキドキ、ワクワクしながら挑戦することが勝負の世界の醍醐味
7 そりゃ、僕だって勉強や野球の練習は嫌いですよ。誰だってそうじゃないですか。つらいし、大抵はつまらないことの繰り返し。でも、僕は子供のころから、目標を持って努力するのが好きなんです。だってその努力が結果として出るのは嬉しいじゃないですか
8 努力せずに何かできるようになる人のことを『天才』というのなら、僕はそうじゃない。努力した結果、何かができるようになる人のことを『天才』というのなら、僕はそうだと思う。人が僕のことを、努力もせずに打てるんだと思うなら、それは間違いです
9 アップの時には全力で走るとか、早く来て個人で練習しているとか、そんなことは僕にとって当たり前のこと
●鈴木一郎さんは、夢をもつこと、その夢に向かって何事も前向きに行動することで可能性が生まれ、それが現実的な目標となる。そして、その目標を達成させるためには、スモール・ステップが重要で、目の前の小さなことから、こつこつと努力を積み重ね、次のステップへと進めていく。努力をすることは、時に苦しみを感じるけれども、それにワクワクしながら挑戦し続けることが大切だと述べています。●鈴木さんの、「僕は子供のころから、目標を持って努力するのが好きなんです。だってその努力が結果として出るのは嬉しいじゃないですか。」の一言に、日本球界ばかりかメージャーリーグでも名の残す名選手の一人となった、そんな成功の秘訣があるのだと改めて感じました。●子供たちが自分の「夢」や「目標」を実現させられるよう、子供たちが目の前にある、今できること、やらなければならいことに気付けるよう、私たち大人が声をかけ、支えていく必要があるのだと感じています。
ちょっと一息(お勧めの1冊)
ちょっと一息(お勧めの1冊)
著書名:『そこに僕はいた』 著者名:辻仁成
●本日は、辻仁成さんが少年時代に出会った人々、友人との出来事を18編のエッセイにまとめた『そこに僕はいた』です。●「少年、辻仁成さん」の心の揺れ動き、そして内面的な成長の過程が描かれています。●作品を読みながら、思わずにやけたり、恥ずかしくなったりするような出来事を思い出すかも知れません。例えば、好きな女の子に嫌がることばかりしてしまったこと、好きな女の子のことばかり考えて過ごしたこと、またマドンナに憧れたことなど、異性への淡い思い出が皆さんにもありませんか。●思春期を迎えた男の子の心と体のアンバランスさ、心理状況についてもユーモアを交えた軽快なタッチで描かれています。●さらに高校時代の若者が抱く夢や不安についても、多くの高校生の気持ちを代弁しているかのようです。●私が本著で最も好きな章は、著書名ともなっている「そこに僕はいた」です。僕(辻仁成さん)が小学校3年生の頃に出会った、片足のあーちゃんとの関わりを書いた章です。僕を取り巻く心ない大人たちの言葉、あーちゃんとのエピーソード、そんな出来事を通しながら、僕の気持ちの変化や心の成長が巧みに表現されています。辻仁成さんの鋭い感性と優しさが伝わってきます。●本著は、皆さんにとって、小学生や中学生、高校生時代を懐かしむことのできる1冊となります。自分の少年時代を思い出し、郷愁に耽る時間をもつことは、多忙な毎日の清涼剤となることでしょう。
大岡信さんの言葉
●大岡信さんの言葉
本日は、詩人の大岡信さんの言葉を紹介します。大岡信さんと言えば、28年の長き渡り、朝日新聞の朝刊に連載したコラム『折々のことば』が有名です。私は、毎朝、大岡さんの『折々のことば』に目を通すのが日課でしたので、大岡さんが亡くなられ今、それがかなわないことが残念です。本日紹介する言葉は、中学校2年生の国語科教科書に掲載された『言葉の力』からです。
『言葉の力』から
人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。しかし、私たちが用いる言葉のどれをとってみても、単独にそれだけで美しいと決まっている言葉、正しいと決まっている言葉はない。
ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、別の人がそれを用いたとき同じように美しいとは限らない。
それは、言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものだはなくて、それを発している人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまうところにあるからである。
●大岡信さんは、京都の嵯峨に住む染織家志村ふくみさんとの会話から、桜の花びらのピンクは、実は、木全体(桜は、春先になると幹や樹皮、樹液までがピンクとなる)で懸命になって最上のピンクの色を作り出し、ほんの先端だけその姿を出していることを教えられます。つまり、私たちの限られた視野の中では、桜の花びらに現れ出たピンクしか見えませんが、木全体の一刻も休むことのない活動の精髄によってあのピンクが現れているのです。●大岡さんは、この話から「言葉」も実は桜の花びらのピンクと同様に、美しい言葉、正しい言葉とは、表面的な美しさや正しさではなく、それを発した人の思い、気持ち、その基盤となる人間性によるものだと述べています。●私たちは、一語一語のささやかな言葉のささやかさ、そのものの大きな意味を実感していく必要があるようです。●そのためにも、たった一つの言葉を発するにも長い時間をかけ、時に我慢をする覚悟が必要です。●美しい言葉、正しい言葉というものは、その言葉を発する人の芯(幹)が美しく、正しくなければ、美辞麗句としかなり得ないからです。●このことは、私たち人間が、「言葉」の世界を背負っていると言っても過言ではないということです。●大岡信さんの『言葉の力』に触れ、改めて「言葉」の重み、大切さを感じています。
徳冨蘆花さんの言葉
本日は、明治時代から大正時代にかけて小説家として活躍した徳冨蘆花さんの言葉を紹介します。徳富蘆花さんは、『不如帰(ほととぎす)』を著し、当時の大ベストセラー作家の一人でした。そんな徳冨蘆花さんが、「欠点(短所)」について述べた次の言葉は、私たちの生き方のヒントになるかも知れません。そんな言葉を紹介します。
欠点は常に裏から見た長所である。
徳冨蘆花さんは、「欠点(短所)と感じていることも、見る人が異なれば、それが長所となり得る。」と行っています。つまり、欠点(短所)も、時が変われば、場所が変われば、そして人が変われば、長所となり得るということです。つまり、自分が短所と感じていることが、相手によっては、なくてはならない長所になるかも知れないということです。そう考えると、私たちは、自分が感じている「長所」に自信を持ち、それをひたすら伸ばす努力をすれば良いのだし、「欠点(短所)」だと考えていることは、今はそのままにしておいて、無理に直そうとする必要もないのです。その「欠点(短所)」が素晴らしい、いいねと言ってくれる相手が、気づかせてくれる友達が現れたら、自分の「欠点(短所)」について、もう一度考え直してみるという生き方も良いのかもしれませんね。