新着情報

校長室から

YouTubeをプロディースする

◆YouTubeをプロディースする◆

●ご存知の方も多いかもしれませんが、この度、再生回数が6億回を超えた「もちまる日記」もちまるが「YouTubeで最も視聴された猫」としてギネス世界記録の認定を受けました。●このYouTubeチャンネルを開始してから、わずか2年での偉業達成です。●「もちまる日記」とは、スコティッシュフォールドの「もちまる(もち様)」の何気ない日常を、飼い主(下僕)がYouTubeに投稿している番組です。●この番組が、これだけ人気を博し、多くのリピーターを確保しているのには、訳がありそうです。●それは、番組制作者である、飼い主(下僕)さんのプロデューサーとしての手腕によるところだろうと私は考えています。
●ところで、話は変わりますが、「子供たちのスマートフォン等の所持率」について調査をしました。その結果、7割程度の子供たちがスマートフォンやタブレット等の情報機器を所持することが明らかとなりました。●また、利用内容については、LINEによる友人同士のやり取り、YouTubeの視聴に加え、InstagramやTikTokなどによる映像、動画の配信を行っているようです。●時代の衰勢にしたがえば、この現状は当然のこととも考えられます。●だからこそ、子供たちにはスマートフォン等の情報機器を利用する際の利便性に加え、そのリスクについてもしっかり理解した上で、主体的に、そして賢く活用して欲しいと願っています。
●本日は、その「賢く」活用するという観点から、多くの子供たちが閲覧しているであろうYouTubeの動画について、「もちまる日記」の人気の理由を考察する過程を通して、その使い方を提案してみたいと考えています。●それは、自分が気に入っているYouTubeをプロデューサーの視点で分析してみてはどうかということです。●プロデューサーとは、テレビ、音楽、ラジオの番組、映画、コンサートなどを制作するリーダーです。つまり現場の責任者です。●YouTubeを制作するプロデューサーは、
1 何回も視聴してもらうためには、どうしようか。
2 他の動画との差別化をどう図ろうか。
3 今までない、より魅力的なものにするためにはどうしようか。
などを考えながら、番組を制作しています。
●それでは、「もちまる日記」を人気番組に押し上げるために、どのような点に気を配りながら番組を制作したのか、私になりに考察してみました。
1 毎日、新たな動画が配信すること 
2 全体的にゆったりとした時間が流れている雰囲気を作ること
3 動画配信の時間が、長すぎず、短すぎないようにすること
4 常に、「もちまる(もち様)」を中心としたストーリー性をもたせること
5 バックミュージックとして流れている音楽を癒やし系にすること
6 「飼い主(下僕)」の「もちまる(もち様)」への愛情を全面に表すこと
7 テロップのコメントにウィットをもたせるようにすること
8 作為的な内容ではなく、あくまでも「もちまる(もち様)」の自由奔放な姿を配信すること
など、意図的な制作過程があると考えました。●そのことで、全体の流れが落ち着き、選び抜かれた音楽によるバックミュージックがその効果をあげています。●また、飼い主さんが「下僕」に徹し、「もちまる」を「もち様」=「猫様」として、猫につくし続けるその姿が、「もちまる(もち様)」を中心とした猫の生態をありのままに映し出すとともに、そこにストーリー性が生まれ、「もちまる」の可愛さをなお一層引き立てているのだろうと思います。●また、配信する動画は基本的には、「もちまる」の生活の一部が意図的に切り取られ、そこに「飼い主(下僕)」さんの「もちまる(もち様)」への愛情たっぷりのコメント、それもウイットを利かせ、「もちまる(もち様)」の気持ちを代弁したり、日頃の性格などを説明し補ったりしています。そのことにより視聴者は、時に「もちまる(もち様)」へ愛おしさを感じたり、おもわず吹き出したりしてしまうのだと考えます。●これらの理由により、閲覧回数が増えたのだと思います。 
子供たちには、自分のお気に入りのYouTubeを視聴し、楽しい、面白いというだけで終わらせて欲しくないと感じています。●もちろん、精神的リラックスのため、癒やしのため、楽しむためといった理由はとても大切なことですが、時には、「なぜ、何回も同じ動画を見てしまうのか」、「他の動画と何が異なるのか」を考えて欲しいのです。そして「自分ならこの動画にどんな音楽を入れたいか」、「場面構成をどう変えてみたいか」、「動画の時間はどれ位にするか」といった、プロデューサーとしての視点で改善策を提案することも勧めたいのです。●そのことは、楽しみながら、思考力を鍛えることにつながるとともに、実は、「今の子供たちに求められている資質・能力」のひとつでもあるのです。●そして、そこで鍛えられた思考力は、別の場面で必ず生きて働くものだと、私は信じています。

体験から「経験」へ

◆体験から「経験」へと昇華◆
●私は、体験を体験のままで終わらせることなく体験を「経験」へと昇華させることが、とても大切だと考えています。●私たちは、日々の生活の中で、様々な体験をしていますが、そのほとんどが自分の意思とは関係なく起こっている事象です。例えば、街角で知り合いに出会う、登校途中に雨に降られる、1時間限目の国語の授業に参加するなど、偶然、突発を含め、誰かの意図によって与えられた事象といってもよいのです。もちろん、大好きなサッカーの試合に出場するなど、自らの意思から積極的な体験をすることもあります。●しかし、与えられた体験であろうと、自らの意思による体験であろうと、体験したことをそのままにしていたのでは、「経験」へと昇華させることはできません。●なぜなら、体験は自分の外側に存在し、「経験」は自分の内側に存在するものだからです。だから、外側に存在する体験を自分の内側に存在させるための操作が必要となります。●その操作とは、体験したことを「思考」する、「言語化」するということです。つまり、自分が体験したことは、結局、どういう意味を持つものであったのか、今後へどう繋げていくべきかと「思考」し、必要に応じて「言語化」するのです。言い換えれば、外側にあるものを内側に存在させるための操作を行うことで、自分の思考力・判断力・表現力などを高め、知的財産へと導くことが、体験を「経験」へと昇華させると言うことなのです。
●学校教育においては、体育祭や学校祭などの学校行事や高齢者との交流学習といった学年行事を行った際は、必ず、活動について話し合ったり、感想を書くなどの振り返りの時間をとっています。体験したことを振り返る活動を通して、「思考」させ、「言語化」させることで、外側に存在した体験を「経験」として内側の存在へと昇華させるねらいがあるからです。●ですから、この振り返りが表面的な活動であると、体験を体験のままとして終わらせてしまうことになります。●また、体験は当然、学校行事ばかりではありません。いや、それ以外の体験を子供たちは日々の生活でたくさんしています。●子供たちが、その体験を必要に応じ、「思考」し、「言語化」することで、内省するという習慣を身に付けて欲しい、そのための手立て、仕掛けを行っていく必要が、今まで以上にあると考えているところです。

ちょっと一息(お勧めの1冊)

◆ちょっと一息(お勧めの1冊)◆
著書名:『高瀬舟』 作者名:森鴎外
●本日は、『舞姫』や『山椒大夫』などの著作で知られる森鴎外さんが著した『高瀬舟』を紹介します。●「高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。」という書き出しから始まる物語です。船の上で交わされる会話だけで進行し、当時の時代背景や登場人物が丁寧に描写され読みやすい作品です。●『高瀬舟』(大正5年)は、現代においては古典として感じられる方も多いようですが、扱われているテーマが現代でも通じる「足るを知る」「安楽死」という内容であるとともに、文庫本16P程度の短編ですので、是非目を通して欲しい作品のひとつです。●ここで、森鴎外さんについて少し紹介をします。明治時代から大正時代にかけての小説家ですが、代々医師の家系に生まれ、東京帝国大学(現東京大学)医学部卒業後、軍医としてドイツへ留学するなど、超エリートとでもありました。森鴎外の代表作のひとつである『舞姫』は、このドイツ留学の際の出来事が下地となっていることは有名です。●それでは、簡単にあらすじを紹介します。
●罪人を護送するため、京都の高瀬川を下る「高瀬舟」があります。「高瀬舟」とは京都から罪人を島流しにする際、その護送のための船のことです。同心の「庄兵衛」は、弟を殺したという男「喜助」を船に乗せます。庄兵衛は、殺人を犯したはずの喜助が安らかな顔をしている、いや楽しそうにさえしていることに不思議さを感じます。実は、喜助は、病気の弟が自殺に失敗し苦しんでいるのを見ていられず、その手で殺してしまった咎で、殺人罪として島流しの刑になったのです。喜助の境遇を聞いた同心・庄兵衛は、「喜助のしたことは罪なのか」と心に疑いを残したまま、舟をこぎます。●また、庄兵衛は同心という安定した職業につきながら、高瀬舟での護送を「不快な職務」として不満に思っていました。そして妻の実家が裕福なことでお金に不自由することもありませんでしたが、そんな立場に負い目も感じていました。一方、喜助は貧しい生まれで、まとまったお金を持ったこともありませんでした。それが島流しになり、「島はよしやつらい所でも、鬼のすむ所ではございますまい。」「それにお牢を出る時に、この二百文(※現在の価値で5,000円くらい)をいただきましたのでございます。」「お足(金)を自分の物にして持っているということは、わたくしにとっては、これが始めでございます」と満足そうにしています。庄兵衛はそんな彼の姿を、驚きと敬意をもって見つめます。お金や地位を手に入れた庄兵衛は、自分にはないものをさらに欲しがりますが何も持っていなかった喜助はわずかなもので満足しているのです。つまり無意識のうちに『足るを知っている』のです。
●この物語は、庄兵衛が喜助との関わりにより、人生の喜びや悲しみ、理想の生き方や死に方など、深く難しい問題に目を見開かされるという作品です。●さて、病気に苦しむ弟の自殺を手助けした兄は、果たして「人殺し」を犯したと言えるのでしょうか。それとも「安楽死」として認めるべきなのでしょうか。そして「安楽死」あるいは「尊厳死」という考え方は正しいのでしょうか。またまた、わずかなもので満足する心、「足るを知る」という考え方、生き方の本当の意味とはどういうことなのでしょうか。●皆さんも一読し、この深く、そして難しい問題を考えてみてはいかがでしょうか。

「想像力」を豊かに

◆「想像力」を豊かに◆

2学期のスタートに当たり、子供たちに「想像力」という言葉を贈りました。「想像力」とは、「自身が体験していないことや未知の事象などについて、頭の中で思い描く力」のことです。「想像力」を持つことで、視野が広がり、新たな発想、考えが生み出されると言われています。しかし、私は、子供たちが学校生活を始めとした日常生活で様々な人々と関わる際、相手の立場を理解し、相手の立場になって物事を推し量れる、そんな子供たちに成長して欲しいという思いから、「想像力」という言葉を贈りました。
人それぞれは、それぞれの個性があり、性格も異なっています。育った環境も同じではありません。当然、物事のとらえ方、考えに差異が生じ、価値観が違うのは当然のことです。だから、同じ事象でも受け止め方、感じ方が異なります。何気ない一言が、「相手を傷つけてしまった。」というのは、よく聞くことです。「相手はどう感じるのだろう」という視点が欠落した結果といえます。自分が一人の個であると同時に相手も一人の個なのですから、そのような異なる者同士で円滑にコミュニケーションを図るためには、表層には現れていない相手の気持ちや前提を想像し、補わなければ、このような現象は起こり得るのです。だからこそ、「想像力」を持つこと、それを豊かにすることは大切なのです。子供たちには、「悲しんでいる友達のその悲しみと、全く同じ悲しみを抱くことはできません。しかし、想像力を働かせられれば、その悲しみに近づけます。想像力を持つことで、視野を広げ、柔軟な思考により、相手の立場で物事を考え、相手の気持ちを理解しようとする習慣を身につけて欲しい。」と伝えました。
私には、この「想像力」に関しての失敗談がいくつもあります。例えば、ひとつの例を挙げれば、ある友人に悩み事を相談された時、私なりの慰めや、助言をしたのですが、後から振り返ってみると、それは、慰めが欲しかったのではなく、ましてや助言など欲しくはなかったのだなあ。ただひたすら、話を聞いて欲しかった。同調、同意だけして欲しかったのだな、と後悔したことがあります。「想像力」の欠如による失敗です。的確なアドバイスが欲しいわけではなく、ただひたすら話を聞いて欲しいという人もいる、そういう時もあるという「想像力」が、私にはその時、働かなかったのです。今、思い出しても恥ずかしく、自分の未熟さを痛感させられた出来事です。
私ばかりでなく、「想像力」の欠如による失敗が、誰にでも大なり小なりあるのではないでしょうか。このように、「想像力」を豊かにすることは大切であると理解していてもその「想像力」を身に付けること、ましてや豊かにすることは、簡単ではないようです。だからこそ、どのようにしたら「想像力」は身に付くのか、豊かにできるのかを考えたり、友人などと話し合ったりしていく必要があります。子供たちには、「自身が体験していないことや未知の事象などについて、頭の中で思い描く力」は、どのようにしたら身に付くのか、そしてそれを豊かにするためには、何を意識しどんな努力をしていく必要があるのかを、本校教職員を始め、保護者の皆様と一緒に考えていって欲しいと願っています。
ちなみに私は、「想像力」を豊かにするために、次に示す5つを意識しています。もちろん、できないことも多く「自戒の念」ばかりではありますが…。
1 人に興味を持つこと
2 様々な分野の情報、知識を広げること
3 疑問を抱いた事象について、自分なりの答えを導き出すこと
4 自分の考え、意見と、反対の立場に立つ人の考え、意見を思うこと
5 自分と立場や考え、意見の異なる人と積極的に関わること

松下幸之助さんの言葉

◆松下幸之助さんの言葉◆

本日は、パナソニックを一代で築き上げた「経営の神様」こと、松下幸之助さんの言葉を再び紹介します。過日において「自己を成長させる」ために大切な考え方を示唆してくれている言葉として5つ程ご紹介をしましたが、本日は「失敗」をキーワードにした言葉を紹介いたします。やはり、「自己を成長させる」ために大切な考え方のひとつになり得るだろうと私は考えています。

1 失敗したところでやめてしまうから失敗になる。
  成功するところまで続ければ、それは成功になる。

2 失敗の原因を素直に認識し、
   「これは非常にいい体験だった。尊い教訓になった」
   というところまで心を開く人は、後日進歩し成長する人だと思います。

3 失敗することを恐れるよりも真剣でないことを恐れたい。
  誠実に、謙虚に、熱心にやることである。

松下幸之助さんは、「失敗」とは、取り組み始めた物事を中途半端にやめてしまうから、諦めてしまうから、結局、結論として「失敗」してしまったということになる。時には、苦しく、辛いこともあるだろうが、あるいは、時間がかかるかもしれないが、自分が目指す目標、目的まで諦めず、取り組み続ければ「失敗」という概念は存在しないのだと述べています。つまり、何度「失敗」しても、「失敗」はすべて成功への過程の「よい経験」になるということです。まさにこの言葉は、シンプルであり、かつ当たり前のことを述べています。でも奥深い一言です。特に中学生を含めた若者にとっては、今を、これからを生きるための重要な指針となる金言です。ただ、それは分かっているけれど、「失敗」は「よい経験」として、その考えを貫き通した生き方をすることは、実は難しいことです。なぜなら、私を含め、多くに人がそうだろうと思うのですが、人は「失敗すること」への恐れを少なからず持っているからです。とりわけ、「失敗」したことを指摘されることは、とても辛いことです。でも、多くの偉人、先人の言葉(名言)にみられるように、やはり、「失敗」を恐れている者には、進歩も成長も、そして成功もありません。だからこそ「失敗」は「成功」の基として、松下幸之助さんのこの言葉を肝に銘じた生き方を試みる必要があるようです。本校の子供たちには、「失敗」を恐れず、またその「失敗」を糧とした、前向きな生き方をして欲しいと願うとともに、機会を得てはこのことを語りかけています。
また、松下幸之助さんは、「真剣」であること、「誠実、謙虚、熱心」にも触れています。本日紹介した3つの言葉は、「自己を成長させる」ために大切な指針を示していると考えています。最後に、「失敗」をキーワードにした、他の先人たちの言葉を紹介いたします

4 ナポレオン・ヒルさんの言葉
   ある仕事に三度失敗しそれでもあきらめないなら、
   あなたはその道での指導者になれる可能性があると思って良いだろう。
   10回以上失敗してなお努力を続けられれば、
   あなたの心には天才が芽生えはじめている。 

5 ゴールドスミスさんの言葉
   私の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、
   倒れるごとに起きるところにある。

6 エルバート・ハバートさんの言葉
   努力をあきらめないかぎり、失敗なんてこの世にはないのだ。