校長室から
ちょっと一息(お薦めの1冊)
ちょっと一息(お薦めの1冊)
著書名:『死の瞬間~死とその過程について~』
作者名:エリザベス・キューブラー・ロス
●本日紹介する本は、「死の五段階説」を提唱したエリザベス・キューブラー・ロスが著した『死の瞬間~死とその過程について~』です。初版は1969年で、2001年に新訳バージョンが、そのままの邦題タイトル「死の瞬間」で発刊されています。●「死の五段階説」とは、錯綜した経過を辿ることも見られるのですが、末期患者は「否認と孤立」→「怒り」→「取り引き」→「抑鬱」→「受容」という過程で死を迎えるという考えです。●本著は、200人以上の末期患者にインタビューを行い、患者自身の死に対する受け止め方や、医療従事者や身内の反応などが記(報告)されています。●したがって、著者であるキューブラー・ロスの死生観が述べられているのではなく、あくまでも死に瀕した人々が残してくれたメッセージとなっています。●だから、「否認と孤立→怒り→取り引き→抑鬱→受容」の5段階モデルについての説明は少なめで、理論よりも患者の語りからの理解に重きを置いています。●人は「死」を必ず迎えます。そしてそのことを誰もが知っています。しかし自分は「死ぬ」のではないかと感じたとき(自らの「死」を悟ったとき)、どうして自分が死ななければならないのかといった理不尽さを感じます。そんな矛盾に苦しむ患者の生々しい声が聞こえてきます。●末期患者の家族が、現実を直視できず、いやしたくないあまりに、患者と本音で話せないという事実も語られています。●また、最期を迎える患者が「望むこと」はどんなことなのでしょうか。「ありがた迷惑なこと」は何なのでしょうか。その答えが末期患者のインタビューを通して見えてきます。●その人の尊厳を守り、人間的な愛情を持った関わりを行う(医療機関が提供する)ためには、そんな患者の思い、願いを理解する必要があるようです。●「父が亡くなる前にこの本を読めばよかった。癌がわかってから亡くなるまでの4年間、父から一言も弱音を聞かなかった。強気だった父の本心を知る努力をすべきだった。私達には言えないこともあったかも知れない。」とは、ある方の感想です。
●本著は、日本にまだターミナルケアがほぼ認識されていなかった頃の、アメリカでの終末期ケアの記録です。●欧米文化の影響により、宗教の比重がある程度重く描かれて、日本の終末医療で神様に関する考えはここまで登場しないだろうと感じるところはありますが、数多くの末期患者へのインタビュー、そして観察を行ってきた記録ですので、感情論としての内容とは一線を画した作品です。
●誰もがいつかは「死」を迎えるのです。また大切な家族もしかりです。「死を知る」とは、「死を受け入れる」とは、どういうことなのか、本書をもとに自分なりの「自分解」を具体的に実感してみては、いかがでしょうか。
ちょっと一息(お薦めの1冊)
ちょっと一息(お薦めの1冊)
著書名:『日本語練習帳』 作者名:大野晋
●本日紹介する本は、言語学者であり国語学者でもある、大野晋さんの著した『日本語練習帳』です。●大野晋さんは、橋本進吉(日本語文法を体系的にまとめ上げた、日本文法研究の第一人者)さんに師事し、上代仮名遣いの研究をすすめました。●また、日本語の起源や変遷についての考察、本居宣長の研究などでもすぐれた業績をあげています。●大野晋さんは、『日本語の起源』『日本語以前』『日本語とタミル語」など、後世に残る名著を多数著した人物としても有名です。
●ちなみに、日本語の文法体系論として代表的なものは、時枝文法(時枝誠記さんがまとめ上げた文法論)と橋本文法(橋本進吉さんがまとめ上げた文法論)がありますが、現在、小中学校国語科で取り扱っている文法論は、橋本文法となります。●私は、大学で「(国語学)文法論」を学ぶ過程において、大野晋さんの『日本語練習帳』に出会い、その著書の幾つかに触れることとなりました。●それでは、私の個人的な「思い出」も織り交ぜながら、大野晋さんの『日本語練習帳』のさわりをご紹介します。
●皆さんは、「私は山田です。」と「私が山田です。」の違いを、明確に説明することができますか。また、「私は山田です。」と「山田は私です。」あるいは「山田が私です。」の違いを説明することができるでしょうか。●日本語の「は」と「が」の違いについては、奥の深いものがあると感じませんか。●さらに、皆さんは「思う」と「考える」の違いを考えたことがありますか。「通る」と「通じる」、「嬉しい」と「喜ばしい」の意味を正しく理解して使い分けていますか。またまた、「大丈夫」の使い方を間違えてはいないでしょうか。●本著は、清少納言の枕草子で有名な「春はあけぼの, 夏は夜」を手本として、食堂での「私はうどん、貴方はタヌキそば」という会話の意味する根本的な違いなどに触れながら、言葉を敏感に捉える練習から始まって、文章の組立てや展開、そして敬語の基本など、練習問題に答えながら日本語を「トレーニング」出来るように作られた、まさに「練習帳」と呼ぶべき1冊です。●つまり『日本語練習帳』は、日本語という慣れ親しんだ言語について、改めて「ことば」という視点から向き合う機会を私たちに与えてくれるのです。そして日本語の奥深さや面白さを楽しみながら、なおかつ文章が上達するように工夫された1冊となっています。●「まえがき」「Ⅰ 単語に敏感になろう」「Ⅱ 文法なんか嫌い――役に立つか」「Ⅲ 二つの心得」「Ⅳ 文章の骨格」「Ⅴ 敬語の基本」「配点表」「あとがき」という構成となっている本著は、単語の意味に敏感になることの大切さや、文章を書くためにはまず読み慣れることの必要性、文章を縮尺(要約ではなりません。まさに文章全体を網羅なく縮尺してまとめることです。)することの勧めが述べられています。
●私は高校生の時、「矜持(矜恃)」という言葉に初めて触れ、まさにその人の思いを的確に表した言葉だと感動した経験があります。●「誇り」や「自信」、ましてや「プライド」などの言葉では表しきれない、その人の人柄、気質すら感じることができたからです。●小学生時に出会った「常套句」を始めとして、「寡聞」「肺腑の言」「仄聞」「灘声」などの「ことば」との出会いは、私の耳目を開き、「ことば」の包含性という気づきを与えてくれました。●正直、高校生までは文法は好きではありませんでしたが、大学で「は」と「が」の違いについて学ぶことをきっかけに、大好きではありませんが、文法への興味が湧きました。●やはり「ことば」は生きています。●既述したことですが、「見る」という尊敬語において、「ご覧になる」なのか、「叡覧」なのか、その使い分けこそがその人の「思い」をより的確に表現する術のひとつなのです。●「雨が降りそうだ。」と「雨が降るようだ。」を明確な意思を持って使い分けることは大切なのです。●自分の思いであるAを相手に伝えたいとき、Aと表現したつもりでも、相手がA’と受け取ったとしたら、それは相手がA’と受け取るような表現しかできなかった自分に力がなかったのかもしれません。●またまた、相手がBという「思い」を表現していたのに、こちら側にそれを読み取る力がなくB’としか理解できかったらとても残念なことです。●文法にしろ、語彙にしろ、日本語をより深く掴まえるための努力をしていかなければと思うところです。そしてそういう行為が語学ということなのだろうと考えています。
●文脈によって「明白な」「明確な」「明晰な」「鮮明な」を的確に選択しながら会話ができる、表現できる力を身につけるためにも、事例をふんだんに交えながら、日本語の奥深さ、表現の豊さが説かれている、本著を手に取ってみてはいかがでしょうか。
社会に貢献する自立した人間
◆社会に貢献する自立した人間◆
本校の子供たちには、「1年後の自分像を描き、どんな人に成長していたいか、何が出来るようになっていたいか、具体的な目標を立てて、粘り強く努力をしてほしい。」また「自立した人、つまり自己実現力を身に付けるために、自分がやりたいことを自分で見つけ、自らどんどんやっていってほしい。」と繰り返し伝えているところですが、その根底には、「社会に貢献する自立した人間」へと成長してほしいという、強い願いがあります。それは、本校の校訓である「自立共生」にもつながる考え方です。
当たり前ですが、何かに挑戦することがなければ失敗をすることすらありません。先ずはチャレンジすること、その意思、そして意志を持つことが大切です。たとえ失敗し挫折感を味わったとしても、自分が目指し頑張ってきた結果なら、その体験はその後必ず生きると考えるからです。そしてその体験を経験へと昇華させ、自分の人生に生かしていくべきなのです。
社会に貢献し、自立した存在になるためには、自分の考えを持ち、正しく表現すること、多様な知識を習得し、それらを活用して教養を深めることが肝要です。子供たちにはうまくやるより、試行錯誤を重ねながら得られた結果を受け止めて改善策を探っていける人となってほしいと願っています。
創生祭や体育祭などの行事は、学年を超えて生徒が企画・運営する一大イベント。予期しない変化に対応する柔軟性を身に付けるとともに、他の人の意見を理解して協働できるようにもなる格好の機会です。
昨年度の子供たちの様子を見ていると、コロナ禍における新しい様式での学校教育活動が求められ、様々な制約や制限が余儀なくされる中、実施できそうな種目やルール、内容を教師の支援を受けながらも生徒自らが考え、実践していました。また体育祭の花形種目であり、本校の伝統となりつつある「南中ソーラン」においても、その練習の時間、内容を生徒自ら(生徒会役員や3年生が中心となり)が発案し、全校性が一体となって実践している姿に感動を覚えました。ひとつのものを成し遂げようと、子供たち知恵を絞っている姿を見ていると、リーダーは育てるものではなく、自然と生まれるのが正しいんだなと感じます。(教師はその環境を整えること、必要に応じて「意図的なしかけ」と必要最小限の支援、言い換えれば「導き」は必要なのですが)。得意なことがそれぞれ違う者同士が集まっているから、先頭に立つ人、それを支える人が場面によってコロコロ変わる。人と交わるなかで、どんどん失敗したっていい。これこそが学校教育の醍醐味です。そう意味で、「目指す生徒像」に「自立」というキーワードを掲げ取り組んできた、昨年度の教育活動は一歩前進したと考えています。
本年度はさらに前進できるよう、新たな「しかけ」を試みます。それは、「全校縄跳び大会」や「全校リレー大会」、「全校写生大会」(これは参考例で、実施する種目は子供たちに考えてもらいます。斬新なアイディアが挙がることを期待しているところです。)など、子供たちが企画、運営するイベントを教育活動に位置づけ、実施していこうと考えています。そのことで、うまくいって感動し、自信へつなげ、時に失敗し、挫折感を味わいながらもその体験(経験)を次に生かす、また友達と意見が対立し、腹が立ったり、納得がいかなかったりしながら、落としどころを見つけていくなど、調整力を養っていく。その過程で子供たちが自己の得意分野を生かし、協力し合って、新たな自己を発見していく。そんな活力ある学校を目指しています。
子供たちが卒業するときに「この学校でよかった」と思えるようにするためには、本校に集う子供たち自身の力が大切です。それをしっかり支える教職員、そして保護者や地域の皆様の協力が必要なのです。目の前の小さな目標達成に向けて努力を積み重ねていく先(未来)には、結果として、志望校への合格があり、最終的に求める「社会に貢献する自立した人間」への道があるのですから。
ちょっと一息(お勧めの1冊)
◆吉本 ばなな『TUGUMI(つぐみ)』◆
●本日紹介するのは、吉本ばななさんが著した『TUGUMI(つぐみ)』です。●『キッチン』に続く第2作目で、山本周五郎賞を受賞しています。●作品は、12の連作短編集となっていますが、どこから読んでも楽しめる1冊ともなっています。●主人公は著書のタイトルともなっている「つぐみ」。●その「つぐみ」は病弱で長くは生きられないと宣告されています。●その「つぐみ」の姿を従姉妹の「まりあ」の視点で描いたエッセイ的要素を含ませた作品です。●実は「まりあ」にも、ちょっと訳ありの複雑な家庭事情があるのですが、その悲しさも辛さも垣間見せていません。●この作品の魅力には、このような構成の妙によるところも大きいのです。●「まりあ」は「つぐみ」が表出した言葉を語ります。行動を語ります。彼女が目にした「つぐみ」の姿として物語が展開するのです。●また「まりあ」は「つぐみ」の心を、考えを、そしてその思いも語るのですが、それはあくまで「まりあ」を通した「つぐみ」の虚像です。●だから、時としてその「つぐみ」像は見事に裏切られます。●またそれは同時に、私たち読者が「つぐみ」に裏切られ、驚かされることにもなるのです。●では、吉本ばななさんの『TUGUMI(つぐみ)』を少しだけ紹介します。
●「つぐみ」の実家である旅館に「まりあ」が身を寄せます。ある一夏のことです。●「つぐみ」は容姿端麗ですが病弱で、小さい頃から甘やかされて育ちます。●「つぐみ」は「食うものが本当になくなった時、あたしは平気でポチを殺して食えるような奴になりたい。」と語る、ちょっと言葉が悪く、粗野で傍若無人な女の子です。●でも、強烈すぎる強さは、儚くて危ういものです。
●我儘で自由奔放で癇癪もちの「つぐみ」の物語。●弱い身体に余る程の強い気性で家族にも誤解されている「つぐみ」の物語。●「つぐみ」、「まりあ」、「陽子」、「恭一」4の人が織りなす、一夏の青春物語。●夏の海辺の街が、そしてそこを歩く4人の姿が、その情景が脳裏に浮かぶ物語。●「つぐみ」と「恭一」の淡く、儚い恋の物語。●「恭一」の飼っていた「権五郎」という犬の連れ去られ事件。●その事件を発端とした、「つぐみ」の復讐劇。●そしてのその復讐劇の頓挫と「つぐみ」の生と死。●病弱な少女から少しだけ大人へと成長していく切なく透明な物語。●「つぐみ」の純粋さと捻くれた優しさに気づく「まりあ」の物語。
●「つぐみ」は、どこまでも真っ直ぐで、それでいて儚く消えてしまいそうな女の子です。●まるで「生の時間」とは別の場所にいるようで、なんとも不思議な雰囲気をもつ「つぐみ」に、機会がありましたら触れてみてはいかがでしょうか。
八代亜紀さんの言葉
◆歌手の八代亜紀さん◆
●本日は、歌手の八代亜紀さんのインタビュー記事から、「ありがとう」の言葉について、八代亜紀さんの言葉や内容のさわりを紹介いたします。
●昨年、歌手デビュー50周年を迎えた八代亜紀さんは、1971年に歌手デビューし、「なみだ恋」の大ヒットを皮切りに、1980年「雨の慕情」で日本レコード大賞を受賞するなど、数多くのヒット曲を世に出しています。また絵を描く才にも長けており、フランスの「ル・サロン」で5年連続入選を果たし永久会員ともなっています。
●八代亜紀さんは、「ありがとう」と言う言葉は、本当に良い言葉で、この言葉に元気をもらって、50年間をやってきました。「ありがとう」と聞くと、言った方も言われた方も元気になるし、「よし、またがんばろう」という気持ちになるので、たくさんの「ありがとう」を言葉にするようにしているんですと語っています。●下積み生活の2年間は、日々思いトランクを引きずり手にマメを作りながら、知らない街から知らない街へと移動しては、歌を歌い、そしてレコードを1枚、1枚、手売りしていたそうです。●ある時、次の街へ移動するため、がらがらの始発電車に乗って、トランクを前に抱え、両脇に大きなバックを2つ置いて座りましたが、疲れのためか、泥のように眠ってしまったそうです。●目が覚めたときには朝の通勤ラッシュの時間帯で、電車は超満員の寿司酢目状態。そんな中、八代さんは何人分もの席を占領してしまっていたのです。●しかし、誰からも「どけ」などと、きつい言葉を浴びせられることはありませんでした。●それから数年後、「あの時、トランクを抱えて寝ていたのは、八代さんではなかったですか?疲れているのだから寝かせてあげようと、みんなで言い合っていたんですよ。」と言う、手紙をいただいたそうです。●心がほっこりと温まる逸話です。●八代さんは、下積み生活のような苦しい日々の中であっても、良いことがひとつくらいはあるものです。十のうち九つ嫌なことがあっても、ひとつ良いことがあれば、そちらに「ありがとう」と言いたいと述べています。●また、「なみだ恋」の大ヒットでスターへの階段を上り始めた八代さんは、「百万枚のヒットなんて、親戚がどれだけ買っても無理。見ず知らずの方、一人一人が買ってくださったのだから、感謝するんだよ。」と言う父親の言葉は、本当にその通りだと感じたそうです。●ホームレスの方に毎日、ご飯とお風呂を用意した両親。ご近所さんにお裾分けをよくしていた両親。そういう両親の姿から、物事の良い面に目を向ける、感謝しようという思いが強くなったとも八代さんは語っています。
●八代亜紀さんのインタビュー記事の内容から、「ありがとう」と言う言葉を素直に、そして心から発することのできる人とは、苦楽ある人生を前向きに捉えることができる人であり、物事の本質(深層)に目を向け、「感謝」の心を持つことができる人なのだと、改めて感じたところです。